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【所長コラム】「0(ゼロ)グラム」へようこそ Act.8

“ナード”が足りない日本人(3)

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2009年01月07日 22時08分

 前回(「“ナード”が足りない日本人(続)」)の続き。

 ホリデー・ミュージックという音楽ジャンルをご存じだろうか? iTunesで音楽を管理するときに曲情報の中に「ジャンル」というのがあって、ロック、ジャズ、テクノ、ダンス、クラシック、……といったリストから選んで入れることができる。ところが、わたしの甥がiPodを買ってきて、お気に入りのCDをリッピングするのを手伝っていたときのことだ。そのリストの中にあったホリデー・ミュージックというのが、どんなジャンルの音楽なのか答えられなかった。正直なところ、調べてみてもわからない(ご存じの方は教えていただけると)。そして、

iTunesのジャンルに「アニメソング」がない

というわけなのである。カントリーやら宗教音楽やら25種類ものジャンルがズラリと出てくるのだが、「アニメソング」も「アイドル」も「演歌」を選ぶことができない(カスタマイズして自分で入れることはできるが)。それでは、アニソンのCDはどんなジャンルになるのだろうと思って、『うる星やつらジュークボックス2』(時代モノで申し訳ない)を入れて、iTunesに自動設定してもらったら「サウンドトラック」と出てきた。なるほど、サウンドトラックといえばそうだが。

 アニソン、アイドル、演歌が選べないから、iTunesは、米国の文化を押しつけてきている――などというつもりはない。アップルが提供するMacintoshやiPodの世界は、いまやガラパゴスと言われて久しい日本に、ハイカラな舶来の空気を持ち込んでくれる。その通気口のような役割をしてくれている貴重な存在だと思っているので、決して否定的な話をしようというのではない。

Macをはじめよう
米国におけるナードの図式をゆるがしたのではないかと思えるCM「Macをはじめよう」。Macくん(ジャスティン・ロング)とPCくん(ジョン・ホッジマン)のコント。

 アップルと日本文化との違いといえば、「Macをはじめよう」のテレビコマーシャルである。米国では2006年夏から流されたもので、大変に評判になり、Macの売り上げにも貢献したといわれている。世界各国で、米国のオリジナル版がそのまま流されたが、英国と日本だけは“ご当地バージョン”が用意された。日本版は、みなさんご覧になっていると思うが、オリジナル版がネットにあるので探してみてほしい。

 前回前々回で、日本と米国のナードをめぐる背景の違いについて述べた。

・テクノロジー信仰の崩壊後、日本では「おたく」、米国では「ナード」が生まれた。
・1990年代、米国では女にモテず運動神経もないナードが社会的成功者の象徴となった。
・『NUMB3RS』(天才数学者の事件ファイル)などナード礼賛型のテレビドラマがある。

 ところが、こうした図式をゆるがしたとも思えるのが、アップルの「Macをはじめよう」キャンペーンなのである。これについては、わたしは、一度ちょっとくわしく書いている(遠藤諭の“ご提案”Vol.1「Macをはじめよう」)。繰り返しになる部分もあるが、その後の補足も含めて触れてみたいと思う。

 なぜ「Macをはじめよう」のコマーシャルが、米国におけるナードの図式をゆるがしたなどと言えるのか? それには、Macくんを演じたジャスティン・ロングという役者に対する基本的な理解の問題がかかわってくる。わたしの周り(日本人)たちに聞くと、Macくんは「カッコいい人」と受け取った人がすべてだった。まず、それが間違っている。

 わたしは、たまたま『エド~ボーリング弁護士』(2001年NBC)で高校生役を演じていたときからこの役者が気になっていた。その後も何となく気にかけていたのだが、ほぼ一貫して「頭が悪くて、運動神経もなくて、女の子にモテない奴」を演じてきている。真骨頂は、映画『ドッジボール』(2004年)で、ボールを当てられそうになって、ヒザを内側に向けて飛び跳ねるカッコ悪さ。割と得意なのが、ちょっとした動作の間が悪く、自宅のソファにひっかかって反対側に落ちてしまうなど。あの年齢にして、森繁久弥の「社長~」シリーズでの三木のり平や小林桂樹のような円熟味すら出てきている(コケ方について)。

 そんなMacくんが、スマートに使いこなせているから「Macをはじめよう!」となるわけなのだ。日本版の「Macをはじめよう」では、ご存じのとおり「ラーメンズ」が、MacくんとPCくんを演じることになった。これは、アップルと広告代理店の方々が頭をしぼった“善後策的”なキャスティングとしては称賛に値する。しかし、ジャスティン・ロングが放つ“間抜けオーラ”がMacによってスマートに見えてくるイリュージョンは、ねらってできるものではない。

ダイハード4.0
『ダイハード4.0』におけるジャスティン・ロング(左)は、サイバーテロリストに誘われたものの仕事をもらえなかったハッカー役である。その彼が、不死身(ダイハード)の男マクレーン刑事の背中にくっついて、おびえながらもなんとか逃走を続けるあたりが見所になっている。(C) 2006 Fox and its related entities. All rights reserved.

 日本版では「Macは素晴らしい、Windowsはダサイ」という比較広告的なパターンしか放送されなかった。それに対して、米国版は、広告が作り出す空間自体が進化を続けていて、どこかPCくんに対する愛さえ感じられる内容にもなっている(PCくんを演じているジョン・ホッジマンがMacくんをやるという噂もあった)。Windowsユーザーが、苦笑いしながらもこのコマーシャルを見てしまう細かな工夫もほどこされている。

 わたしが好きなのは、クリスマスプレゼントのエピソード。Macくんがカッコよく綴じた自作の写真集(アルバム)を差し出すと、PCくんが『C++ GUI programming guide』という分厚い本を差し出すというやつだ。いかにも、わたしの業界というか弊社から翻訳でも出ていそうなプログラミング本で、つまり、周りに影響力のあるユーザーというスイートポイントを突いてきている。

 このコマーシャルの登場まで、コンピュータを取り巻くナードの図式は、とても単純だった。ナード(nerd)と体育会系(jock)という二元論的な見方ができるものだった。弱いはずのナードが、頭を使って体育系をやっつける。まさに映画『ナーズの復讐』シリーズの世界である。ところが、このコマーシャルでは、コンピュータに関して「Macくん」と「PCくん」しか出てこない。PCくんは、いくらかナーディなところがあるが、Macくんは、体育会系ではない。ナードよりも弱っちいのだ。

 ナード度をタテ軸、体育会系度をヨコ軸にマッピングすると、ジャスティン・ロング(Macくん)は、最も平均的な人間の左下に位置すると考えられる。

ジャスティン・ロングのポジション

 しかし、ジャスティン・ロングのキャラしとて、頭も悪くかなりダメなのだが、ずうずうしくネバっこく結果的にとんでもないことをしでかすというパターンがある。映画『ACCEPTED』(2006年・日本未公開)は、すべての大学入試に失敗したジャスティンが、ニセの合格通知を自宅に届け、ニセの大学のホームページを友だちに作ってもらう。ところが、作ってしまった“クリック1つで合格”というそのサイトを見てダメ学生が詰めかけ、最後は、ニセの大学をデッチ上げて州にも認めさせてしまうというお話である。

 『The Wall Street Journal』の記事によると、「Macをはじめよう」のジャスティン・ロングのキャスティングは、スティーブ・ジョブズ自身による指名だそうである。頭も悪く運動神経もなく女にモテないが、十人並みにカッコよく生きたいとか欲しいモノも願望もある。それが、ある意味カッコいいし、強いというふうに見るということかもしれない。そこには、体育会系もナードもいないのだ。

グーグルトレンド画面
グーグルトレンドで調べてみると、フェイスブックが2008年上半期にグーグルを抜き去った後は、留まるところを知らない伸びを見せている。

 そこで連想してしまうのが、ネットの世界をリードする「グーグル」と「フェイスブック」の対比である。「グーグル」は、世界のすべての情報をインデックス化し、人類が生みだしてきた学問や知識をデジタル化することを目指している。あたかも、数字が神だというピタゴラス教団のような、禁欲的で学問至上主義的な集団のような見え方をすることがある。それに対して、「フェイスブック」は、2004年に大学生のためのSNSとしてスタートした。いわば「モテたい」気持ちが原動力となっている。「Friend For Sale!」(友だちを売り買いしてペットにする)のようなソフトがあったり、友だちがクリックしたことが分かる広告など、およそ禁欲的という言葉とは無縁である。そして、このフェイスブックが、「2008年はフェイスブックの年だった」と言えるほどの勢いで米国はもとより世界に広がっている。

 グーグルがナードの世界であるとすると、フェイスブックがジャスティン・ロングの世界に近いのかもしれない。もちろん、フェイスブックもナードが動かしているし、システム的にも相当の技術が裏付けになって爆発的に伸びている。しかし、1990年代から顕在化していたナードの猛威が、いくらかおさまってきているのではないかとも思えるのだ。それを象徴するような出来事が、『ナーズの復讐』リメイク版の制作中止という事件である。

 1984年に公開された『ナーズの復讐』は、ナードたちが彼らを不当に差別する体育会系(Jock)の連中を、その柔らか~い頭脳を使ってやっつけてしまう映画である。米国の大学を舞台にした『蟹工船』とも言える、苦悩と闘争と勝利の物語だ。2007年公開の予定で準備が進められていた、このナードのバイブル的映画の復活ができなかったことは、ナード界にとって大きな痛手だ。

以下次回。

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■このコラムについて

 アスキー総合研究所所長の遠藤 諭が、コンテンツ消費とデジタルについてお届けします。

 本やディスクなど、中身とパッケージが不可分の時代と異なり、ネット時代にはコンテンツは物理的な重さを持たない「0(ゼロ)グラム」なのです。

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