アスキー総合研究所 > 所長コラム > iPhoneとAndroid、どっちを使う?(続)
2009年09月04日 23時00分
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アスキー総研で行った『iPhone利用実態調査』では、iPhoneに関して、「身につけられる、常に持ち歩けるコンピュータ」(42.9%)、「いつでもどこでも使えるコンピュータ」(38.0%)と答えた人が多かった。iPhoneは、携帯電話として売られている。そして、スマートフォンという分類で語られることが多い。しかし、「コンピュータ」でできることを、iPhoneに求めているユーザーが少なくないのだ。
iPhoneのユーザー層については、「iPhone累計出荷台数3,000万台突破」の中でも触れた。コンピュータとしての機能まで求めているのは、1日に20回以上使う「iPhoner」とも呼べる人たちである。しかし、彼らも含めたiPhoneの満足度の高さは、コンピュータ的なことを排除したところにあるのではないかと思う。ためしに、パソコン、一般的な携帯電話、iPhone、おまけに人間(動物)を並べて、それぞれ備えているもの当てはまるものを並べてみる。
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| iPhoneの「検索」は、iPhone OS 3.0で対応したので「△」とした。携帯電話の音声認識は、一般的な機種を想定。そのほかの項目も、あくまで一般的な認識として、主観的に○△×を付けたもの。「触れただけで反応」というのは、iPhoneのメール一覧画面などで指をスライドさせると、本来スクロールしない側にもゴムのようにズレて戻る現象。 |
こうして表にすると、iPhoneは、コンピュータや従来の携帯よりも、人間(動物)に近いようにも見える。
とはいうものの、人間(動物)というのはやや言い過ぎで、紙のノートやアナログ機器に近いというのが正しいのだろう。メーラーで、検索や送信者や日付による並べ替えもできないのは、一般的な携帯電話よりも機能的には低い。しかし、ちょうど本物の手紙をパラパラと手で持って探す感覚で、画面をスクロールして見ていけばいいじゃないかというのが、iPhoneなのだ。
iPhone OS 3.0で「検索」が追加されたのは、アプリが作り出したデータがiPhone内にたくさん溜まるようになったためだといわれる。しかし、モバイルで「検索」というのは、“いつか来た道”なのである。アップルが、1993年に発売した「Newton Massage Pad」も、「Assist」という検索が魔法の呪文のような役割をしていた。しかし、ふだんの生活の中では、検索とか、並べ替えとか、“コンピュータの世界”に頭を切り換えるのには、ちょっとした心理的ハードルがある。
7月に「Google Voice」のiPhoneアプリが、App Storeへの登録が拒否されたというニュースが流れた。アップルは、これに関して「iPhone独自のユーザ経験を変えてしまうと思われるから」(TechCrunch JAPAN「Google Voice拒否をめぐるAppleとGoogleとAT&TとFCCのもめごと-その最終的な落としどころは果たして?」)と理由を述べているそうだ。要するに、iPhoneが、ニンテンドーDSのような非オープンなプラットフォームなのか、そうではなくてPCのようなオープンなプラットフォームかということに、ポイントがあるのではないか。アップルは、iPhoneをニンテンドーDSのようなものと考えているのではないかと思う。
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iPhoneは、少し前の言い方をすれば「IA」(インターネット・アプライアンス)、最近の言い方でいえは「MID」(モバイル・インターネット・デバイス)なのだ。つまり、コンピュータではないということである。難しいことはできなくていいし、ハードウェアの提供側がその環境の主導権を握っている。そして、簡単で、シンプルで、オシャレであるべく作られている。それは、携帯電話よりも家電に近いもので、iPhoneが音楽プレーヤーのiPodから生まれたということもそれを物語っている。
iPhoneで、「こんなことができる」とか、「iPhoneならこうなる」ということも、基本的にはアプリとネットとタッチ画面とGPSなどのセンサーの組み合わせによるものである。それは、前回のAndroidの「INTENT」のようなアーキテクチャ的に込み入った話ではなく、気が利いていて、誰でも理解できる単純さがあり、米国のテレビ通販のような便利さのアピールがある。
もっとも、iPhoneでできることのほとんどすべてはAndroidでもできる。事実、Android Marketには、iPhoneで動いているようなアプリが日々登録されている。ところが、実際に両者を手に入れて使いこんでいくと、「何か」が違うのだ。
Androidでも、アイコンをタップすればアプリが起動する。端末には、家のマークの「ホームボタン」がある。これを押すとアプリ実行中でもトップ画面に戻る。この点はiPhoneと同じように見える。ところが、ホームボタンを押したからといってアプリが終了したわけではないのである。ネットラジオのソフトなどで試してみればすぐ分かるが、アプリは、見えなくなっただけでAndroidの中で動き続けているのだ。
Androidは、iPhoneとは異なり「マルチタスク」なのである。
iPhoneは、音楽再生中にもアプリケーションを使うことができる。わたしの携帯電話(東芝の「biblio」)は、画面を上下に分割して2つの機能を使うことすらできる。しかし、どちらかも使えるソフトが限られるなどの制限がある。それに対して、Androidは、ごくふつうのPCのマルチタスクのように、複数のアプリをどんどん起動していくことができる。
モバイル端末で、マルチタスクにどこまで意義があるのだという意見もあるだろう。iPhoneで1つずつアプリを起動して、使って、終了するサイクルを繰り返すのと、Androidで、アプリを起動して、使って、次のアプリを起動して、使ってを繰り返すのに、それほど大きな違いは生ずるのか? 実際には、ファイルのダウンロードなど時間のかかる処理がバックグラウンドで行えるのは、なかなか快適ではあるのだが。
しかし、Androidは、マルチタスクとしたことで「ふだんの生活」的でなくなっている。Androidにおけるアプリケーションの追加起動、選択、終了のやり方は、なんとも不思議な手順になっているのだ。何か妥当性のある理由がそこにはあるのだろうが、2カ月近く使っているいまも、それを見つけられずにいるのである。
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| 米国では、発売後にかなり話題となっている「Palm Pre」。 |
iPhoneは、マルチタスクを避けたことでシンプルで使いやすいユーザーインターフェイスとなっている。Androidは、マルチタスクとしたことで効率的に使えはするが、ユーザーインターフェイスが直感的とは言いがたくなっている。そんな状況の中で、颯爽と登場したのが「Palm Pre」(パーム・プリー)のようである。
Palm Preでは、複数起動したアプリケーションを「Card」と呼ばれるインターフェイスで切り替えて使える。頻繁に使うアプリを指を左右にフリックすることで、手際よく使えるようになっている。海外の情報サイトを見るとこの「Pre」に対する評価が非常に高いのに驚かされる。『The New York Times』の記事も絶賛に近いものだったと記憶する。「Palm 7」や「Toreo」シリーズの影響下にあるともいえるわけだが、スマートフォン戦線に、ちょっとした穴馬登場といったところだ。
それでは、iPhoneにはないマルチタスクの使い勝手はどのようになっていくのか? ここがいま、世界のモバイル関係者の、最も注目するところのようである。
※次回に続く
アスキー総合研究所所長の遠藤 諭が、コンテンツ消費とデジタルについてお届けします。
本やディスクなど、中身とパッケージが不可分の時代と異なり、ネット時代にはコンテンツは物理的な重さを持たない「0(ゼロ)グラム」なのです。