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「ASCII Research Interview」 Vol.5 明治大学国際日本学部 森川 嘉一郎准教授

「米沢嘉博記念図書館」誕生の経緯と未来

聞き手=遠藤 諭 構成=村山剛史 撮影=小林 伸

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2009年11月13日 12時00分

『週刊少年サンデー』
「米沢嘉博記念図書館」の書庫に収められた無数の『週刊少年サンデー』。マンガ雑誌の背表紙がずらりと並んでいる光景は、そうそう目にできるものではない。

 10月31日、コミックマーケットの前代表 故・米沢嘉博氏の名を冠した図書館がオープンした。「米沢嘉博記念図書館」と名づけられたこの施設は、米沢氏が生前蒐集していたマンガ単行本・雑誌、書籍、風俗誌などを収蔵する閉架式の図書館で、国立国会図書館や京都国際マンガミュージアムなどでも欠本扱いの貴重本が多数収められている。また、コミックマーケットで販売された同人誌も期限付きで閲覧対象に入るとあって、開館前から研究者やファンたちの熱い視線を浴びてきた。

 今回は、この米沢嘉博記念図書館の設立を推進した明治大学国際日本学部准教授の森川 嘉一郎氏に、設立のきっかけと今後の展開についてうかがった。



米沢嘉博記念図書館
東京・千代田区の、明治大学キャンパス内にオープンした米沢嘉博記念図書館。

―― この図書館を開館することになったきっかけから教えてください。

森川 わたしの立場から振り返ると、はじまりは2003年のことでした。その翌年に開催され る「ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展」に向けて、日本館展示のコミッショナーをすることになったんです。わたしは、そこで“おたく”に関する展示を行おうと考えました。もちろん、それまでもマンガ・アニメ・ゲームなどを展示するという試みはなかったわけではないのですが、マンガ原稿を額縁に入れて展示するなど、いわば作品・モノ・商品として見せていくという手法に限られていました。

 しかし、建築展で“おたく”を扱うことができるのは“秋葉原が電気街からおたくの街になった”からで、その都市現象としての新しさは“秋葉原という特定の場所に、おたくという特定の性格や趣味嗜好を持った人々が集まった結果として街が変わった”ことにあります。特定のモノやサービスが集中する専門店街は世界のいたるところにありますが、人格の地理的集中によってそれがもたらされたというプロセスが、極めて新しいわけです。

―― おたくが好むモノの展示ではなく、秋葉原を変えたおたくそのものを見せるべきだと。

森川 嘉一郎氏
明治大学国際日本学部准教授で、米沢嘉博記念図書館設立のキーマンである森川 嘉一郎氏。『趣都の誕生 ―萌える都市アキハバラ』(幻冬舎)の著者としても知られる。

森川 はい。結果として出来上がった街ではなく、むしろ街を変えた性格や趣味嗜好、すなわちこの場合は“おたく”を、前面に据えて展示を作らないと、その都市現象としての新しさが伝わりにくいわけです。では、どうやって“おたくという人格”を展示的に見せようかと考えたときに、彼らが作り上げている場や空間――個室やレンタルショーケース、秋葉原の街並み――を、再現的に展示しようと考えました。そうなると、当然、最も重要な空間のひとつとして「コミックマーケット」が挙がってきますし、その展示者はコミックマーケット準備会以外に考えられません。……というわけで、出展のお願いをするために準備会に出向いたのが、米沢嘉博さんとの出会いです。突然のお願い、しかも建築展への出展というわけのわかりにくい話にもかかわらず、米沢さんにはその場でご快諾をいただきました。おそらく断られるのではないかと思っていたので、そのことが強く印象に残っています。

 そうして、コミックマーケット準備会には、コミケ会場の机の並びをサークルカット(出展するサークルの 名称や、作品内容を表すイラストカット)で再現した巨大な会場模型を制作していただき、米沢さんもスタッフの方々を率いてヴェネチアまで設置に来て下さいました。展示は現地でも好評で、その後東京で再現展を開くことができました。ところが、再現展の会期が終わろうとする頃に、展示品をこの先どうするかという問題が浮上したのです。通常の展覧会ならば、所有者から展示品を借りて構成し、会期が終わったら返却するわけですが、「おたく」展の場合はイチから作り上げた展示物の集合体だったため、返却先が存在しなかったのです。寄贈してほしいという美術館などもいくつかあったのですが、4トントラックに6台分という分量がネックになって、いずれも一体的な保存が難しいことがわかりました。半分に分けてくれるなら欲しい、とまで言われたのですが、それは極力避けたい事態でした。

コミケカタログ
1階には、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展でも注目を浴びた、「ラジオ会館のショーケースを参考にした」(森川氏)というレンタルショーケースも展示される。写真は、ショーケース内に並ぶコミックマーケットのカタログ

 落ち着き先を探して右往左往していたところ、ある財団から、“おたく展を内包した常設施設が企画できるならば、支援できるかもしれない。施設は、自治体が管理している廃校舎を転用するのはどうか”というお話をいただきました。そこで、どのような施設を提案すべきかと考えていたときに、米沢さんと内記稔夫さん(「現代マンガ図書館」館長)がそれぞれ膨大な蔵書を管理されていることを思い出し、相談に行ったのです。お二方の蔵書や「おたく」展を複合できる、複数の図書館や博物館の集合体のような施設を考え、その可能性についてうかがったのですが、お二方とも恒久的な保存がなされるのであれば、前向きに検討できるというご意向でした。

 この二つのコレクションは、ともに、国会図書館にも収蔵されていないマンガを多数含んでいることもあり、複合的な保存と運用が実現すれば、画期的な施設になることは間違いありません。そこで、計画書を作り上げ、廃校舎を管理する自治体へプレゼンを繰り返しました。ところが、周辺住人の理解が得られるのかという自治体側の懸念から、なかなか話が前に進みません。そうして一進一退を繰り返している間に、米沢さんが他界されてしまったのです。

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