アスキー総合研究所 > 所長コラム > Twitterはコミュニケーション革命なんかじゃない(3)
2010年01月22日 15時12分
|
|---|
| デジタルガレージの林 郁CEO(写真左)。インタビュー内容は1月25日(月)20時から、TOKYO MXのニュース番組「TOKYO MX NEWS」内のコーナー「東京ITニュース」で放送されます。放送内容は、TOKYO MXの公式YouTubeチャンネルにもアップされます(http://www.youtube.com/user/tokyomx)。 |
毎週月曜、TOKYO MXの夜8時からのニュース枠で、「東京ITニュース」というコーナーを手伝わせてもらっている。同コーナーで今回、日本でのTwitterの展開を仕掛けているデジタルガレージの代表取締役/グループCEO、林 郁(はやし かおる)氏にインタビューさせていただいた。
デジタルガレージといえば、さまざまなネットのパラダイムを日本にもたらした会社である。検索エンジンやネット通販のシステム、ネット広告の仕組みなどを、いちはやく(あるいは非常に早い時期に)提供してきた。共同創設者の伊藤穰一氏は、1年前にやはりインタビューさせてもらったが、ネットをテクノロジーの視点からも語れる人物である。
同社のTwitter社とのパートナー関係は、出資しながら業務提携も行っているというものだ。日本は、Twitterのテストマーケットになっていて、ケータイへの取り組みなどを共同開発している。広告バナーが出るようになっているのも、日本だけなのだそうだ。その日本の担当者が、Twitterについて、インタビューという形では初めて答えてくれた。
わたしが「おーっ」と声を出してしまったのは、林氏の発した「Twitterは正しい《原始インターネット》の時代」という言葉である。
1990年代、インターネットが商用化されて、いまのネット時代というものが幕をあけた。コンピュータネットワークというものが、一般の個人の生活者のところに降りてきた。個人も企業もフラットに、自由に繋いで使ってよいというのが、インターネットの最大のインパクトだった。
もっとも、それまでにも、コンピュータネットワークは生活の中に入りこんできてはいた。
1970年代には、銀行のいわゆる第三次オンラインによって、もうATMで送金ができるようになっていた。スーパーに行けば、POS(ポイント・オブ・セールス)が、あなたの買い物情報を本社に送っている。仕事や学校で、コンピータネットワークを体験していた人もいるだろう。1980年代の後半から1990年代にかけては、パソコン通信サービスが立ち上がっている。1990年代に入れば、広末涼子の“タコ滑り台”に象徴されるポケベル文化まで始まってしまう。
アル・ゴアが「情報スーパーハイウェイ構想」といったのも、1990年代の前半のことだ。ネットワークによって、米国が抱える労働問題、教育問題、環境問題などを解決する。米国民のかなりの数がIT産業に従事していることを考えれば、ここをやれば、国自体が活性化するというわけだ(情報スーパーハイウェイ=インターネットではないが)。
ネットの初期には、「こんなことが可能になる」、「こんなことが出来たら素晴らしい」といった議論がさかんに行われた。リエンジニアリング、バーチャルカンパニー、サプライチェーンマネジメント、データマイニング、データウェアハウス、バーチャルユニバーシティなどだ。これらが完璧に行き届くと、景気の変動のないまったく新しい経済が訪れるという議論もあった。
しかし、その中には実現されたものもあれば、いまだに形にもなっていないものもある。電子図書館は来なかったが、オンライン書店のアマゾンは盛況だ。バーチャルカンパニーは見えないが、米国では企業に所属しない就労者が4人に1人の割合(『フリーエージェント社会の到来』ダニエル・ピンク著)になっており、インドへのオフショアはもはや当たり前である。
いま、わたしが編集長をつとめていた『月刊アスキー』の過去の記事を見ながら書いているが、実現されているものは半分くらいかもしれない。
アスキー総合研究所所長の遠藤 諭が、コンテンツ消費とデジタルについてお届けします。
本やディスクなど、中身とパッケージが不可分の時代と異なり、ネット時代にはコンテンツは物理的な重さを持たない「0(ゼロ)グラム」なのです。