アスキー総合研究所 > 所長コラム > Google+はクラウド時代のトモダチコレクションなのか?
2011年07月12日 14時10分
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「GDrive」をご存知だろうか? Googleが提供すると何度も噂になっているネットドライブで、ちょうどDropboxのようなものと考えてよいだろう。2006年3月のアナリスト向けの配布資料の中に、これについての説明が紛れ込んでいて話題となった(どのくらいのインパクトがあるのか、Googleが試したのではないか、などと言われた)。
GDriveは、「無限の記憶容量」を提供する点が最大の特徴とされるが、我々はそれを少し違ったかたちで、すでに手に入れているのかもしれない。
6月末のある日、Google AndroidエバンジェリストのAさんから招待が来て、「Google+」のテストサービスを使いはじめた。Google+が成功するか否かについては、まだあまり議論もされていないが(あれが足りない、これが使えないという議論はなされている)、何か新しいコンピューティングのはじまりを感じさせるものがあると思う。
Google+を使って最初に驚いたのは、Galaxy Tabで撮影した写真が、いつのまにかGoogle+にアップロードされていたことだ。Google+をAndroidアプリで使うようになると、あなたのスマートフォンに、Eye-Fi(デジカメで撮影した写真を自動的にクラウドにアップロードする無線LAN付きSDカード)が装備されたような感覚になる。
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| Android用に、Google+のアプリが提供されている(2011年7月11日現在、iPhone用は登場していない)。写真の自動アップロードが行えるようになり、Google+とAndroidの関係は、もはやAmazonとKindleの関係にも似た側面を持ち始めている。 |
たとえば、神楽坂の「新東記」というシンガポール料理屋で「肉骨茶」という料理の写真をGalaxy Tabで撮影したとする。すると、何ら余分な操作をすることなく、Google+の「写真」(その正体はPicasaなのだが)に、ほどなく登録されるのである。PCで電子本を買ったら、いつの間にか自分のKindleに本が入っているという、Amazonの「Whispernet」の感覚にも似ている。
Androidは、すでに「Google+のエコシステムの一部」になっているのだ。
しかも、Google+では2048×2048ピクセル以下の画像を、無制限にアップロードできる。明らかに「写真」がとても便利に使えるようになっていて、この部分に関しては、「Google+はPicasaのソーシャル化である」といってもあながち間違ってはいないだろう。サークルに入れた友人たちのアップした写真を、「写真」メニューでまとめて見られるのも、新しい体験である。ちょっと構造は異なるが、写真版のPaper.liともいえる、サマリー閲覧機能である。
この「写真」という話でいうと、Facebookは写真で成功したウェブ企業だと思う。Facebookはその名のとおり、“顔写真”が出ているところを最大の価値としてスタートした。「顔」があるから仕事の話もできるし、知り合いを発見できるし、自分の付き合いやすい人間か否かを判断できる材料になったりする。「顔」という最大の「表現媒体」を使ったところが、Facebookが成功した理由のひとつだろう。
その意味では、Google+の「写真」が使いやすいというのは、賢い戦略だと思う。
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| 注目できる機能の1つが、「写真」の使い勝手だ。Picasaへのアップロードが事実上無制限になったことや、モバイルからの自動アップロード、サークルの人たちの写真がサムネイル式に見れるのも楽しい。写真に続いてドキュメントや音楽など、さまざまなデータがこのような利便性で使えるようになるのだろう。 |
そして、いま米国の主要ネット企業は、写真のさらに先にある、人々の「五感」を奪い合っているのだ。アップル、Google、Amazon、Facebookは、クラウド型音楽サービスで激しく競合している。米国では、Facebookでもビデオの投稿が非常に増えており、ビデオチャットも大きなテーマになっている。この領域でも、Google、アップル、マイクロソフト(Skype)、Facebookが競合することになった。
世界は「五感」に向かっているのだとすると、いま日本で、電子書籍やスマートフォンなど、それぞれに閉じた議論をしている場合ではないだろう。
ちなみに、これはSNSについての個人的な意見だが、Facebookの「イイネ!」やTwitterの「RT」には、文章組み立てツールのようなところがあると思う。別にちゃんとした文章を生成するわけではないが、人が気持ちを言葉にしてさまざまなかたちで届けたいというのを、簡便化する働きがあるからだ。そういったものが、これから「五感」のほうに向かっていくことになるのは確実である。
冒頭で、「GDriveをすでに手に入れているのかもしれない」と言ったのは、Google+が、無限に写真をアップロードできるという理由だけではない。この調子で、人々のすべての気持ちがクラウド上でやりとりされるのだとすると、それがすなわちみんなが持っていたいデータのすべてになると思えるからだ。ほしい情報のすべてがそこにあるのなら、それは無限の記憶容量のストレージを持つことと同じではないか。
一部の人たちは、Google+を「Facebookのパクリ」だと言っている。事実、Googleの関係者もFacebookの「友だち」のしくみは具合が悪いので「サークル」という概念を持ち込んだと述べている。もっとも、テストサービスが始まって1週間ほどしてからは、Google+は「Twitterの進化形」という意見も目立っている。
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| Google+のFacebookとの最大の相違点は、「友だち」という1種類の関係だけではなく、「サークル」に振り分けられる点である。本文では触れなかった部分として「Sparks」という話題提供画面があるが、これはソーシャルメディアの利用目的で「ニュース」を挙げる人が、日本に比べて海外では多いからだろう。 |
Googleが、Twitterにずっとご執心だったのは事実だ。同社がTwitterを買収しようとしているという話は、何度も出ては消えてきた。2007年には、当時、「Tumbler」とともにTwitterのライバルと目されていた北欧系の「Jaiku」を買収。直近では「Google Buzz」をやった。だが、いずれもうまくいかず、結果的にTwitterからデータを買ってきて「リアルタイム検索」を提供することになったのは、ご存知のとおりだ(Google+の開始とほぼ同時に終了)。
Googleが、Twitterを欲しがる理由は明確である。いままで彼らがかき集めていたウェブやメールなどのデータは、誰かに読まれることを想定して「襟を正して書いた」文章である。それに対して、Twitterのなにげない「つぶやき」には、いままであまりデジタル化されたことのなかった「本音成分」とでもいうべきものが高いからだ(しかもリアルタイムである)。
そこまで検索できるようになれば、「世界中のデータを検索できるようにする」というGoogleの社是を、いよいよまっとうできるというわけだ。
しかし、Google+が、こうした彼らの社是にもとづいて作られたものかどうかは不明である。Googleの一挙手一投足は、アナリストやジャーナリストたちに詮索されまくるが、本当のところ、それがきちんとした理念や戦略性のもとに描かれたシナリオかどうかはどうもあやしいと言わざるをえない。
むしろ、とても「理念的な会社」なのは、Facebokではないかと思うのだ。Facebookは、さまざまな他社サービスのエッセンスを吸収しながら大きくなってきた建て増し建築のようなものだ。けれども、誰もそのようには言ってはいないが、その根幹にはGoogleの社是以上に強力なビジョンというものがある。
マーク・ザッカーバーグは、「世界がますます透明な方向へと動いていくことは、次の10年、20年に起きる変革のほとんどを後押しするトレンドになるだろう」と述べている(『フェイスブック/若き天才の野望』デビット・カークパトリック著、滑川海彦・高橋信夫訳、日経BP社刊)。彼らは「透明性」(transparency)という言葉を使って、自分たちがネットのトレンドの中心にいると主張しているのだ(事実そういうトレンドにはまった企業が、どの時代でも成功してきた)。
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| ソーシャルメディアをその機能から分類する試みは、2~3年ほど前からさかんに行われている。目的やジャンルなどによって10種類以上に分類している例もあり、いかに米国が「ソーシャル」で動きはじめているかがわかる。しかし、重要なのは人の関係性の部分であり、ここでは日本で馴染みの深いいくつかについて、最もシンプルな模式図を作ってみることを試みた。 |
それのために、「実名性」や、それ以上に関係性が「事実」であることに彼らはこだわっている。人がポツンと1人いるだけでは、何かが始まることは少ないので、「関係性」がとても大切になる。彼らは、「人間関係まで含んだ住民基本台帳」を作ろうとしているみたいなもので、さぞかし価値のあるものになるだろう。しかし、個人的な感想を述べさせてもらうと、この「透明性」というのが息苦しいような気がしないでもない。
それに比べて、Google+の「サークル」はとてもあやふやなものだ。Google+に加入していない人を、自分で作ったサークルの中に入れておくことだってできる。たとえば「カレー好き」というサークルを作って、勝手にカレー好きとおぼしき知り合いを入れておく。クラウド時代のトモダチコレクションとでもいうべきか、あくまで利用者のための「クラスター識別タグ」がサークルなのだ。
Google+は、とりあえず用意できる土台やラウンジや調理場をつなぎ合わせた「書き割り」のような世界だといえる。だからというのもあるかもしれないが、プログラミングは天才的だがどこか抜けがあったりもするGoogleのほうが、まだ呼吸しやすい気がするのである。
単純に、サークルやビデオチャットをうまく使うと、グループウェア的なコラボレーション作業ツールとして重宝しそうでもある。「Picasaのソーシャル化」かもしれないと書いたが、Google DocsなどのGoogleの既存サービスを、ソーシャルで使いやすくするという話かもしれない。テクノロジーの世界は、とてもアナーキーで、ベタベタした人間関係になんかあまり興味がない。その真骨頂ともいうべきGoogleは、たかだか利便性のため程度にしか、人と人の関係を捉えていないのかもしれない。
もっとも、これは現時点のGoogle+の話であって、AdWardsやAdSenseが入る前のGoogle検索のような段階である可能性も高い。
FacebookにあってGoogle+にないものの代表は、「Facebookアプリ」だ。「Google+アプリ」なるものがあるとすると、どんな位置づけのものになるのか? それは、「Chromeアプリ」や「Chrome OS」とどう関係してくるのだろうか? 人と人の関係までをも、OSというものが吸収してしまうのだろうか? 我々は、クラウドやスマートフォンの登場で、新しいコンピューティングの目の前に立っている。
アスキー総合研究所所長の遠藤 諭が、コンテンツ消費とデジタルについてお届けします。
本やディスクなど、中身とパッケージが不可分の時代と異なり、ネット時代にはコンテンツは物理的な重さを持たない「0(ゼロ)グラム」なのです。