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【所長コラム】「0(ゼロ)グラム」へようこそ Act.69

(続)スティーブ・ジョブズはどこにでもいる

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2011年09月14日 21時50分

Steven Jobs


 前回のコラムに引き続き。

 スティーブ・ジョブズのことで、私がどうしても連想してしまうのは、映画『地上(ここ)より何処(どこ)かで』(1999年、アメリカ)である。原作のモナ・シンプソンは、ジョブズの2歳少し下の実妹で、彼女の自伝的小説がこの映画のもとになっている。

 ストーリーは、娘を女優にするために、田舎からビバリー・ヒルズに引っ越してきた親子を軸に進んでいく。自分の思いどおりにならないと気がすまない母親と、女優になろうとはカケラも思っていない娘。ただし、養子となったジョブズにあたる人物は出てこない。

 母親はどこまでも楽観的で、強引で、癇癪持ちだが、気が利いているものが好きで、お金もないのにみんなにクリスマスプレゼントをあげてしまったりもする。あるとき、アパートの電気を止められてしまうと、彼女は、「こういうときはおじいちゃんが言っていたとおりに」などと言い出す。そして、フランス料理店に出かけるのだ(お金持ちと出会うためか、元気を出すためか)。

 どこか『ニューヨーカー短編集』(早川書房)にでも出てきそうな、誰もが成り上がりだった時代のアメリカ的メンタリティを感じさせるものがある。

 このお話で描かれているのは、たぶん、ジョブズがアップルの共同創業者であるスティーブ・ウォズニアックとカリフォルニアで出会った頃のことだろう。親子のストーリーを見ていると、勝手な話だが、ジョブズがほんの少しだけ身近な存在のように思えてくる(自伝的とはいえ、フィクションとして書かれたものではあるが)。


AppStoreは
ドラえもんのポケットだった

 1977年に、8ビットパソコン「Apple II」を発売したアップルは、1980年12月に株式を公開(1956年のフォードの株式公開と比較された)。パソコン産業というものと一緒に、ジョブズは、ビジネスの世界にデビューすることになった。

Apple II
写真は1979年に発売された「Apple II Plus」。photo: Wikipedia “Apple II Plus” CC BY-SA

 いまはビジネス誌で「TOP400」と評価されるような企業でも、10年もすればトップが入れ替わることが少なくない。そんな中で、ジョブズだけは、30年以上にわたってビジネスニュースのネタであり続けた(アップルから外れていた間も、NeXTやピクサーなどで話題を提供した)。こういう人物は、アメリカのビジネスの世界でもそう多くはないのだ。

 単純に、その時間の長さだけでも、ジョブズは十分スターだといってよい。もちろん、それに応えるだけの製品を世の中に送り続けてきたし、一流のステージパフォーマンスもやれる。

 だから、ジョブズは、いわば30年にわたってヒットアルバムをとばしてきた大物ミュージシャンのようなものなのだ。アップルの売り上げを聞くとき、アーティストのアルバムの売り上げを聞くような感覚に襲われるのはそのためなのだろう。

 しかし、大物ミュージシャンがそうであるように、現場は泥臭いこともいっぱいあるし、アップルも米国の法規や商習慣のもとに運営されている。そして完成度の高い、現実とはかけ離れたモノを作る人ほど、実は現実的な部分のパワーで動いていると思う。

 たとえば、ジョブズの仕事には藤子・F・不二雄のそれに似たものがあると思う。アップルが提供するiPhoneやiPadなどの、使いやすく洗練されたデジタルの世界。そして藤子・F・不二雄の作品も、あらゆる人に向けてやさしく作られており、それに先端技術のフレーバーがかかっている。ドラえもんのポケットとiPhoneのAppStoreは、とてもよく似ている。

 対照的なのはAndroidで、多分に藤子不二雄Aに近いものがある。「笑ゥせぇるすまん」に象徴される、煩悩と苦悩を一人で背負い込む、旅行好きで儲け話にだまされたりする登場人物たちの棲む世界。もちろん、こればかりがAndroidではないが、現実が少しでも入り込んだらそれは藤子不二雄Aの世界になる。

 しずかちゃんやのび太やジャイアンが楽しくやっている藤子・F・不二雄の世界のほうが平和だが、現実とはかなりかけ離れている。しかし、そういったまったく理想的な世界をすみずみまで創造することのほうが、膨大なエネルギーを必要とするはずである。

 これこそが、すなわちプロフェッショナリズムということなのだろう。ジョブズも人の子で、そうした「仕事人」の一人だと思う。ただ、そのパワーとこだわりが、猛烈にあるということなのだ。


“勝つ”ことへの
きわめて強い執着心

 今回のジョブズ退任のニュースの中で、私が、思わず「おっ」と声に出してしまったのは、ロイターが8月25日に配信した「米アップル新CEO、クック氏の横顔」という記事である。

Tim Cook
アップル ティム・クックCEO。

 ジョブズは、アップルの舵を握る人間としてなぜティム・クック氏を選んだのか? 部下には非常に高いハードルを越えるよう求め、気に入らなければ情け容赦なくクビにするといわれるジョブズが、である。

 記事によると、ジョブズとクックには、ひとつ重要な“共有”事項があるそうだ。それは、

「勝つために全力」を尽くす

ことだという。彼らを突き動かしているのは、「名声やエゴ、カネではない。目的は勝つこと」だと、ロッドマン&レンショーのアナリスト、アショク・クマール氏は書いている。

 「ジョブズ」になるためのキーワードは、“勝つ”ことへの非常に強い執念かもしれない。これは、一般的な経営者が、競争相手よりも収益を上げ、株価を高めて、株主に貢献するというような生やさしい話ではない。

 ビル・ゲイツが“勝つ”ことに執念を燃やす人物であることは、誰でも理解しているだろう。マイクロソフトの歴史は、ライバル駆逐の歴史だったと言ってよい。新しい市場ができてくると、必ずその領域に入って執念深く戦い続け、最後にはその領域を取ってしまう。

 「ワードパーフェクト」からはワープロ、「ロータス」(Lotus 1-2-3)からは表計算、「ノベル」からはネットワーク、プログラミング環境でも「ラティス」や「ボーランド」からシェアを奪った。そして、いまもさまざまな相手と戦い続けているのはご存知のとおりだ。

 とかくマイクロソフトと比較されるグーグルは、商売っ気のないトップ画面や創業者2人の物腰から、純粋にサイエンスとテクノロジーを追求している会社だと思われがちだった。しかし、このグーグルの創業者たちも、実際には“勝つ”(シェアを取る)ことに関して、異常とも思える闘志を燃やす人たちだ。

 グーグルを最初期から追っているジャーナリスト、ジョン・ヒールマンによれば、いちばん最初の創業間もない頃に、すでに「底なしの野心」を彼らに感じたという(『The True Story of the Internet』Discovery Channel)。『プラネット・グーグル』(ランダル・ストロス著、吉田晋治訳、日本放送出版協会刊)でも、“勝つ”(シェアを拡大する)ためならプライドを投げ捨てて、何がなんでも手に入れようとすると書かれている。

 いまや化け物みたいな売上げ規模になったアップルも、世界をまるごとインデックス化してしまったグーグルも、その先輩格にあたるマイクロソフトも、“勝つ”ことに対する非常に強い執着を持ってやってきたのだ。

 何をいまさらと言われるかもしれない。だが、“勝つ”ことへの執念と情熱、そのために費やす膨大なエネルギーこそが、技術を育て、未来を作り出してきた大きな原動力のひとつなのだ。そして“勝つ”という目標が強烈であればあるほど、どっしりと長期的なレンジでモノを見ることができ、最適な技術が出てきたときに、最良のデザインで製品化することができる。

 ジョブズ引退で日本が学ぶべきは、いくらか忘れかけている、この“勝つ”ことについての強い執着かもしれない。最近のアップルやグーグルを取り巻く知財がらみのニュースを眺めていると、そのことを強く思わざるをえないのだ。

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■このコラムについて

 アスキー総合研究所所長の遠藤 諭が、コンテンツ消費とデジタルについてお届けします。

 本やディスクなど、中身とパッケージが不可分の時代と異なり、ネット時代にはコンテンツは物理的な重さを持たない「0(ゼロ)グラム」なのです。

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