アスキー総合研究所 > 所長コラム > 「テレビ崩壊」はウソだと思う
2011年12月20日 19時53分
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ドイツのベルリンに出かけることがあったら、「ドイツ技術博物館」(Deutsches Technikmuseum Berlin)や、IFAという家電ショーの開かれるメッセの敷地内にある「ラジオ塔」を訪れてみるといい。テレビの歴史が米国から始まったと思われている人が多いと思うが、定期的なテレビ放送を最初にやったのはヒトラーだったのだ。テレビとは何かというのを知る手がかりになるものが見つかると思う。
「いまの若い人はテレビ見ない」ということがよく言われる。アスキー総合研究所にも「若者のテレビ離れに関するデータはないか?」というお話を何度もいただいている。たしかに、アスキー総研のデータでも20代は8.8%が「テレビをまったく見ていない」と答えているし、「5分未満」という人も4.1%いる。20代の約10%は、テレビのない暮らしをしているといってよいだろう(下の図1参照)。
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| 図1 年代別のテレビ接触時間。世代が下がるにつれて長時間テレビを見ている比率は小さくなるが、とくに20代では、8.8%がそもそもテレビを視聴していないと回答している。アスキー総合研究所「MCS 2011」より(n=10,005)。 |
大学生に「なぜテレビを持っていないのか?」と聞くと「下宿するときにテレビを買わないのですよ」と言われた。それだったら、32インチでネット契約込みの「0円テレビ」なんてことを、わたしなら考える。しかし、そのように必需品ではないという層が出てきてはいるものの、テレビというのはまだ全体としては若者たちが接しているメディアなのだとも言える。
図2は、先日、あるテレビ関連のセミナーで、まさに「若者のテレビ離れ」に関して紹介させていただいたデータの一部である。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌の4媒体、DVD/Blu-Rayレンタル、ネット動画の視聴時間を性・年代別に集計している。若者がいちばん接していないのは新聞とラジオである。特徴的なのは、40代オタク世代に支えられた雑誌とDVD/Blu-ray Discだろう。
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| 図2 年代別のメディア接触状況。テレビ、ネット動画、映画、DVD/Blu-ray、新聞について、年代別の接触状況を集計してみた(アスキー総合研究所「MCS 2011」より)。テレビと、とりわけ新聞では、世代が下がるにつれての接触率の下落が顕著だ。一方で、ネット動画の視聴時間については、20代男性が突出している。 |
とくに気になるのは20代男性で、1日に平均19分ほどネット動画を見ていることだ。これは20代男性全体の平均値で、「ネット動画を見ている」20代男性に絞った平均では1日に1時間以上にもなる。スマートフォンやソーシャルメディアも20代の利用率が高く、やはりネットが若者たちのテレビ離れの原因となっていると思える。ところが、そのセミナーの後の懇親会で、テレビ業界に長い方に「昔から《若者のテレビ離れ》というのは言っていたのですよ」と言われてしまった。
1人の人間に与えられた時間と空間とお金は限られていて、それをさまざまな生活用件がシェアしている。1970年代までのテレビの黄金時代ならいざ知らず、「ゲーム」がテレビの時間を食ったこともあるし、「携帯電話」がテレビの時間を食ったこともある。「レンタルビデオ」がテレビの時間を侵食していたのもあるだろう。わたしは、その話を聞いていて「テレビ離れ=テレビの視聴時間」とだけ計算していた自分が恥ずかしくなった。
このコラムで、かつて「ネイティブマップ」というものを作ったことがある。そこでは、1950年代中盤~1970年代中盤生まれまでの人たちを「テレビネイティブ」とした。この世代では、テレビが最大のコンテンツのテリバリー手段で、家族や学校のクラスの仲間や日本中をシンクロさせる神経系統として作用した。それがまるで様変わりしているのは事実だが、テレビに未来がないのかというと、そんなことはないと思う。
“家の中のスクリーン”という意味でのテレビは、今後も強力なデバイスの1つであり続けるだろう。手を使わずに没頭できるという点においては、映画『マトリックス』の液体漬けで脳内活動だけを続ける未来の人間の姿に近いのは、カウチポテトなのだ。そのテレビが、つい最近までは1インチ1万円と言われていたものが、いまや10インチ1万円に近づいている(液晶テレビ以降は、テレビもムーアの法則の恩恵に預かっていることに気付いてほしい)。
コンテンツ提供媒体としてのテレビも、見たいものが映し出されるのであれば、メディアとして過去の遺物になることはない。そのための新しい秩序が作られようとしているのがいまで、ちょっとしたイス取りゲームを新旧のメディアがやっているような感じなのだ。そこにおいては、人々の人気の集積所として機能してきたテレビ局のやれることも多い。そうした変化の途中であることを実感させるニュースが目立っているのも事実ではないか。
海外メディアでは、イノベーションのトレンドはスマートフォンからテレビに移ってきているように思える。ザッと拾っても、次のようなトピックがある。
・アップルが「テレビ」を発売
同社の最新のA6プロサッセを搭載すると言われる。iPhoneやiPadのような軽やかに動くテレビは、テレビ番組表を見るのにもモッタリした家電メーカーのテレビを、一気に過去のものに追いやる可能性がある。
・グーグルの「GoogleTV」もやる気
エリック・シュミット会長は、「来夏には、大半のテレビに GoogleTV が組み込まれる」と発言している。テレビ局と格闘中ではあるが。
・コンテンツ配信も多様化がすすむ
アマゾン、アップル、グーグルがクラウド型のコンテンツサービスを開始。HuluやNetflixなど、PCへの配信も活発だ。国内でも民放が集まって見逃しチャンネルを開始する。
・HTML5でブラウザがテレビになる
今後のテレビに求められる機能がブラウザに吸収されると言われる。国やメーカー間の力関係と動向が注目される。
・海外ではテレビ映像系アプリがブレイク
ディズニーの「Second Screen」のような新しい鑑賞スタイルを提供するものから、米ヤフーの「IntoNow」まで、さまざまなアプローチがある。
この中で、いちばん注目すべきなのは、テレビとスマートフォン、タブレットのアプリとの関係だろう。今週、私は、Androidマーケットから『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』と『彼とわたしの漂流日記』という2本の映画をレンタルして、7インチのタブレットで見た。382グラムのGalaxyTabは、布団の中で見るのにも悪くない。それをやっていて、「PS Vita」が欲しくなっている自分にも気付いた。
一方、先月米国で発売されたアマゾンの「Kindle Fire」をいじっていると、1ドル99セントのテレビ番組が、同社のプライム会員なら無料で見られるようになっていたりする。この端末に広告が出るようになるのは時間の問題だし、本や音楽や映像などのコンテンツ以外の商品を買えるようにもなるだろう(勝間和代さんが、アマゾンでほうれん草を買っているというお話がありましたが)。
個人的には、テレビとしてのタブレットもさることながら、テレビと連携するスマートフォンやタブレットやそのアプリのほうにも興味がある。これは、「携帯を使いながらテレビは《ながら視聴》している」といった、5年くらい前からあるような話ではない。どちらかというと、任天堂のタブレット型コントローラを持つ「Wii U」といったほうが合っている。
テレビというものが、先に述べたような新しい秩序を求める中で、うんうんと唸ってポコッとタブレットという卵を生み出したのだ。要するに、リラックスして見たいときは大画面のテレビで見る(鑑賞系)のに対して、コンテンツ選びやソーシャル的なことやコマースなんか(情報系)は、タブレットを中心に行う。より正確には、テレビの画面ともう1つの画面(セカンドスクリーン)を自由にやりとりできるようになる。
いまのところ、テレビ番組にチェックインして話題を共有するようなアプリが多いが、圧巻は、米ヤフーが買収したIntoNowである(下の動画参照)。再生中のテレビに画面をかざすと、いま放送中のどのチャンネルか、あるいは何年前の何月何日に放送されたどの番組のどのシーンかを教えてくれる。この種の取り組みは国内でもあって、たとえば東芝は、美人の出てくるシーンの日時分情報をタグにしてソーシャルに流す技術なんかを用意している。
20世紀のお茶の間での、最大のエンターテインメントとしてのテレビと、世界を目下動かしはじめているソーシャルメディアとの組み合わせは、一体、人々にどう作用するようになるのか? 社会、文化、思想、経済、世論形成など、あらゆるカテゴリにおよぶと考えられる影響力の大きさは、計り知れないのではないか。
映し出される映像は、強力な影響力を持ってきたニュースや情報番組なのか、スポーツや音楽や風景などのライブ映像なのか、ニコ生やYouTubeの世界なのか、いま好調のドラマなのか、何か新しいゲームのようなグラフィックスなのか。テレビの本質かもしれないのだが、狂言回しとしての登場人物の関わり方も変わってくるかもしれない。しかし、注目すべきはやはりネットで視聴者が繋がったことだ。
いまテレビが「旬」である。
アスキー総合研究所所長の遠藤 諭が、コンテンツ消費とデジタルについてお届けします。
本やディスクなど、中身とパッケージが不可分の時代と異なり、ネット時代にはコンテンツは物理的な重さを持たない「0(ゼロ)グラム」なのです。